カウンセリングと臨床心理学の歴史
近代化と心の科学の誕生
かつては、心や行動の不調は、「悪魔に取り憑かれているから」「魂をどこかでなくしてしまったからだ」といったように信じられていました。
それに対して、古代ギリシャのヒポクラテスという医師は、心の病気を分類してどれも脳の異常だと考えました。
近代的な考え方をずいぶん先取りしていたわけです。
ところがヨーロッパでキリスト教が広がると、心の病気は再び宗教的な観点からとらえられるようになりました。心の病いをもつ人が、魔女狩りに会うこともあったのです。
宗教は、人々の心の悩みへの処方箋として、大きな力をもっていました。それは、人々が同じ信仰や世界観、あるいは物語を共有していたためです。
さて、近代になると宗教に変わって自然科学の力が強くなっていきます。
「悪魔が取り憑いたから」
「神様に与えられた試練だ」
といったストーリーは、すべての人々に共有されるものではなくなってきました。
信仰や宗教は、生きるための前提ではなく、個人の「生き方の選択」と考えられるようになります。
心理学の歴史をふりかえると、1879年にドイツのウィルヘルム・ヴントが心理学実験室を作り、心(意識)を「科学的に」研究しようと試みたと伝えられています。
同じ時期に、精神病などを研究し、治療する精神医学も発展します。精神医学(Psychiatrie)という言葉は、1808年にドイツの医師ライルによって作られました。
心理学や精神医学の発展と同じ時代、1896年にアメリカのウィトマーが、ペンシルバニア大学に「心理学クリニック」を創設しています。また、初めて「臨床心理学」という言葉を用いて講義を行ったそうです。ウィトマーの心理学クリニックは、知的障害や学習上の困難をもつ児童に心理学の知見を適用して支援するということを行なっていました。
心理療法のさまざまな学派
臨床心理学が誕生して発展していく19世紀から20世紀にかけて、人の心をどうとらえて、どのようにはたらきかけるかということによって、さまざまな学派が生まれました。
フロイトは、心を意識と無意識によって、あるいは自我、超自我、エスといった構造によってとらえようとしました。フロイトによって創始された「精神分析」は、現代まで続く心理療法やカウンセリングの人間観や方法に大きな影響を与えています。
「意識や無意識なんていう目に見えないことを扱っていては、心理学は科学になれない」と批判した行動主義の心理学からは、「行動療法」が誕生しました。行動に注目することで、心が観察可能になると考えたのです。
また、病理や異常という視点ではなく、人間には成長し、自己実現していく潜在的な可能性があるととらえたのがロジャーズによる「クライエント中心療法」です。
社会が近代化し、個人主義的な考え方が主流になっていくと、共同体や宗教による癒しや救いが失われていきます。
人々が感じる不安や孤独感に対する処方箋として誕生したのが、さまざまな学派や理論をもつ心理療法でした。
臨床心理学の現在
「カウンセリング」と「心理療法」、「臨床心理学」はそれぞれ影響しあいながら発展してきましたが、よくみるとずいぶん違う側面ももっています。
さまざまな学派による心理療法には、フロイトやユング、アドラーといった「創始者」がいます。
トレーニングは、師弟関係に似たプロセスをたどります。
セラピストを目指す人は、師匠に弟子入りし、長い訓練機関を経て心理療法家になっていくのです。学派が違うと、基本的な人間観やトレーニング法、心の問題へのアプローチも異なります(実際は同じようなことをしていても、それを説明する言葉や理論がずいぶんちがうので、対話が難しいということもあります)。
心理療法はプライベート・プラクティス(というのはセラピストの個人開業と同じ意味合いです)を中心に発展してきたのですが、社会が「心理学化」されるなかで臨床心理学が公的に求められることが増えてきました。
アメリカでは第二次大戦後の帰還兵のPTSD(心的外傷後ストレス障害)が問題となり、そのサポートのために臨床心理士が必要とされました。日本では、1990年代になって、いじめの問題や、阪神・淡路大震災後の心のケアのために、「心の専門家」として臨床心理士に注目されました。高校生の「なりたい職業」の上位にカウンセラーや臨床心理士が見られるようになったのもこの頃です。
20世紀の前半が、さまざまな学派が自流の優れたところを主張し、競い合っていた時代だとすれば、後半は具体的なデータに基づいて心理療法の効果を測定し、統合していく時代だと言うことができます。
学派の理論や創始者の考え方ではなく、実証的なデータや科学的な根拠に基づいた「エビデンスベイスド・アプローチ」が重視されるようになりました。
たとえば、「うつ病の治療には認知行動療法が統計的にこれくらいの効果をもっている」とか「行動活性化療法も同じくらいの治療効果がある」ということが、統計的に示されるようになったのです。
エビデンスベイスドとナラティブベイスド
科学的な根拠があるということは大きなメリットです。
「うつ病やパニック障害の症状が治る」「強迫性障害の症状が改善する」
といったことを目標にするとき、どのようなアプローチが効果的かということがわかるからです。
他方で、「人間関係の悩み」や「生きることの意味や目標」といったテーマには、エビデンスベイスド・アプローチはあまり適していません。
うつ病は、誰にとってもその症状が軽減されるほうが幸福であるのは自明のことです。
ところが人間関係や生きる意味は、個人個人によって何が幸福かはずいぶん違うのです。同じ人にとっても、「別れたほうがいいのか、そうでないのか。どっちが自分にとって幸福なのか」はときによって変化することでしょう。
エビデンスベイスド・アプローチを補う考え方として、ナラティブベイスド・アプローチが提唱されることもあります。
ナラティブとは「語り」や「物語」という意味です。
つまり、「物語に基づいたアプローチ」といったことを表しています。
私たちは、科学の論文やテレビのニュースのような「事実」の世界だけに生きているのではありません。
出来事を自分の体験として、自分が主人公になる物語の世界も、同時に生きているのです。ナラティブベイスド・アプローチでは、多数に該当する統計的・科学的な事実ではなく、人が生きるという個別性や具体性に焦点をあてます。
エビデンスとナラティブは、カウンセリング・心理療法を進めていくときの両輪なのです。
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【参考】
エレンベルガー『無意識の発見』木村敏、中井久夫訳、1980年
下山晴彦『面白いほどよくわかる! 臨床心理学』西東社、2012年