時薬、人薬(ときぐすり、ひとぐすり)
カウンセラーはお医者さんではないので、薬を出すことはできません。「発達障害」や「うつ病」「不安障害」といった病名を「診断」することもできません。
また、健康保険なども適応できないので、公的なサービスでなければ、自費でカウンセリングを受けることになります。
「だったらよほど見事な解決策や方法を教えてくれるに違いない」
と思われるかもしれませんが、カウンセラーが「確実な解決方法」や「あなたの心の奥にある秘密」を教えてくれるわけでもないのです(もちろん、必要だと思われたら具体的なアドバイスをしたり、情報を提供することはあります)。
じゃあいったい、カウンセラーが提供しているのは何なのでしょう?
精神科や心療内科などの病院に行けば、医師の診察を受けることになるでしょう。そして、症状や病名についての説明を受け、適切なお薬や治療法を処方されます。
医学的な診断や投薬は、高度に専門的な知識が求められますし、患者さんも医師や看護師の専門性を頼って病院を受診するわけです。
それと比べるとカウンセラーの専門性は、ずいぶんわかりにくいところがあります。
精神分析療法や来談者中心療法、認知療法、行動療法、集団療法、森田療法、遊戯療法、などなど、さまざまな「専門的な」治療法があります。
しかし、どのようなアプローチも、もともとは日常生活やいつもの人間関係における、経験的な知恵や工夫に基づいています。
「否定されたり、決めつけられたりせずに、ゆっくりと聴いてもらうと、気持ちが落ち着くし、どうすればいいかということも見えてくるものだ」
「考え方が極端になると、気分も落ち込むし、ふるまいだって極端になりがちだ。バランスの取れたほどよいものの見方って大切だよね」
「嫌なこと、不安なことだからって避けてばかりいるとよくない。ちょっとずつでも向き合ってみると、だんだん平気になっていくものだ」
こうした日常生活の知恵を、より深く探求したり、研究を重ねていくと、「専門的な心理療法」が形づくられることになります。
民間のカウンセラーやカウンセリングルームにも、こうした「専門的な心理療法」を掲げているところもあります。
私たちのかささぎ心理相談室のように、ユング心理学の考え方に基づきつつも、折衷的にさまざまな技法を取り入れて、日々の臨床をしているところもあります。
最近では、折衷ではなく「統合的な心理療法」を目指すという機運が盛り上がってきていますし、「専門的な心理療法」も、発展するうちに他の流儀とどこか似てくるようです(たとえば、客観的に観察可能な行動のみを扱うと言っていた行動療法が、このごろでは価値観や生きる意味も扱うようになってきていることなどが挙げられます)。
カウンセリングや心理療法のアプローチは「日常の生活や人間関係の知恵と工夫」に根差していると書きました。
では、私たちは日常のなかでどんなふうにして悩みごとや困りごとを「解決」「解消」しているのでしょうか?
滝川一廣先生の「心理療法の基底をなすもの―支持的心理療法の場合―」(1)という論文が好きで、折にふれて読み返すことがあります。この論文では「日常のなかでの悩みの解決」として、〈時間〉〈人〉〈努力〉の三つの要素が挙げられています。
〈努力〉というのは、「自分でなんとか工夫したり、試行錯誤しているうちに悩みが解決した」というものですね。カウンセリングでは、こうした工夫を、カウンセラーとともに試行錯誤していくことになります。
ブリーフセラピー(短期のカウンセリング)でよく言われることですが、「うまくいっていないのであれば、違うことをしてみよう。うまくいっていることがあれば、それを続けてみよう」ということです。
カウンセラーの方から、「ではセルフモニタリングとして、日記をつけてください」とか「今度は違った言い方で、家族に気持ちを伝えてみてはいかがでしょう」といったように、「工夫」を提案することもあります。
〈時間〉とは、「日にち薬」とか「時薬(ときぐすり)」とも言い換えることができます。別のところでも取り上げたのですが(2)、ハンス・アイゼンクというイギリスの心理学者によると、神経症者の3分の2は、数年以内に自然治癒するのです。
「時が解決してくれる」というと、なんだかとても消極的で、その場しのぎの対処にも聞こえます。しかし、人生の苦しみにはただ「耐える」とか「待つ」しかないということだって多いのです。
そのときに「もう先がない」と諦めてしまうのではなく、「きっとなんとかなる。いい方向に行く」と希望を紡ぐことが〈時薬〉だと言えます。
カウンセリングにおける〈時薬〉は、「週に1回、この曜日のこの時間にここに来てください」とか「ではまた来週、お待ちしています」といった日時の「約束」とも深く関係しています。
「次にカウンセリングに来るまで、なんとか頑張って生きていこうと思った」と言ってくれる方もいます。また、「次までにこんなことを試してみます」「今度来るときまでに、家族関係についてもう一度、ふりかえって考えてみたい」というように、カウンセラーとの「次の約束までの時間」を活用される人もいます。誰かが言いましたが、「変化は、面接と面接のあいだに起こる」のです。
「成長」や「発達」といった変化もまた、〈時間〉を通して起こることです。何かを付け加えたり、あるいは無理に引っ張って成長させることはできません。成長や発達には、しかるべき時間で抱えられ、「時が熟す」のを待つことが必要なのです。
では、〈人〉という要因は「悩みの解決」にどう関わるのでしょうか? 私たちが悩んだり、苦しんだりすることの多くは人間関係にまつわることです。
自信や自己肯定感は、家族や友人などの身近な人たちに自分を承認してもらうなかで育まれていきます。人間関係のこじれやトラブルは、それ自体が大きなストレスとなりますし、さまざまな心身の病気を引き起こすことがあります。
しかし、苦しみが楽になったり、「癒される」といった体験もまた、人との関りからもたらされることも多いでしょう。「人薬(ひとぐすり)」ですね。
「話せてほっとした」
「わかってもらえた、共感してもらえると感じた」
「一人じゃないと思えた」
と感じられると、苦しみを耐えて待つゆとりや、前に進んでいく勇気などを持ちやすくなります。
カウンセラーが、「人薬」として機能できるように努めることに加えて、悩んでいる人がもともともっていた人とのつながりを活かせるようにお手伝いできたらと思います。
(1)滝川一廣「心理療法の基底をなすもの―支持的心理療法の場合―」『新しい思春期像と精神療法』金剛出版、2004年
(2)カウンセリングの効果と副作用、あるいは共通要因について