優柔不断について考えてみた
「優柔不断」という言葉について少し考えてみました。いつまでもぐずぐずしていて決断できない、といった意味合いで、あまりいいようには使われないことがほとんどでしょう。けれど、「優柔」にはゆったりとしてものやわらかな、という意味もあります。
白黒はっきりつけたがる人は確かに決断も早いかもしれませんが、情緒面のアップダウンも大きくなりがちです。決断が速いというと長所ですが、ものごとや関係の曖昧な状態に耐えるのが苦手、ともとらえられます。
思考実験としてのカウンセリング
対話によるカウンセリングは一種の「思考実験」(神田橋)でもあるので、基本的には「(決断する前に)ちょっと立ち止まっていろいろ考えてみましょう」ということになります。ということは、カウンセリングとは、優柔不断を勧めるということなのでしょうか。
「あの人のことが嫌いだ」「腹が立っている」といった感情も、「だからもうつき合わない!」と決断してしまう前にきめ細やかに感じてみると、「実はちょっとさみしい気持ちもあって」「本当は嫌いじゃないんだけど」なんていうことがわかってくることもあります。
小さな声に耳を傾ける
そうすると「決断」は難しくなってしまいますね。でも、相反する意見や、ゆれる感情をどれも大事にしつつ行動できた方が後悔は少ないかもしれません。そういえば「不断」という言葉には、とだえないで続くという意味もありました。
これは民主主義的な政治のプロセスに似ているかもしれない。大きなはっきりした声だけでなく、自信なさげな小さな声にも耳を傾けて少しでも合意に近づいていくようなプロセスのことです。白と黒、敵と味方、改革派と抵抗勢力なんて分断せずに丁寧につないでいくのは根気のいる仕事です。
「私モード」の優柔不断
逆に、相手の気持ちや考えについて「怒っているのかもしれない」「傷つけたかな」などとあれこれ考えてしまうこともあります。気になるけれど、聞けないし、行動できない。こちらは逆に、身動きとれなくなるような優柔不断ですね。
自分の気持ちに優柔不断になることには、実感(feeling)がともないます。だからゆれつつ感じているうちにどことなく中心がさだまってくることが多いようです。他人の気持ちは一人で考えていてもわからないから迷ってしまいやすい。できるだけ「私モード」で優柔不断な方がいいのかな。
なんでこんなことを考え始めたのだったっけ、と思いかえしてみると、先日、「どうしようか」と迷う出来事があったのでした。せっかくだからその迷い感を自分でワークしてみようと公園のベンチに座ってしばらくもやもやを体験したのがちょっと面白くて、ここ何日かのテーマになったのです。