カウンセリングで話をすること

カウンセリングに行ってみたいけれど、うまく話せるか自信がなくて…とためらっている方もおられることと思います。何十年にもわたる過去のことも含めると、いったいなにをどこまで話せばいいのか。考え出すとわからなくなってきます。

結論から言うと、うまく話す必要というのはまったくありません。かといって、黙って座っていればカウンセラーが問題を解決してくれる…というわけでもありません。カウンセリングに必要なのは、「自分のことについて話してみよう」という気持ちです。その気持ちさえあれば、話が前後しようと、重要な情報が抜け落ちようと、涙があふれて言葉につまってしまおうと、カウンセラーはその都度お手伝いをしながら、丁寧にじっくりとお話をお聴きしていきます。カウンセリングがお役に立たない方は、苦しさや問題をなんとかしたいけれど、自分のことを話したいとは思っていない方であることが多いように思います。

上手に話す必要はありませんが、カウンセリングに来るときに、「何を話そうかな?」と考えることには意味があります。自分のなかで抱えてきたことを誰かに話してみようと考えることによって、滞っていたものが流れだし、心のなかに変化が始まるからです。そういう意味では、実際に来て話をする前に、すでにカウンセリングは始まっているといえます。実際にカウンセリングに来ると、話そうと思っていたこととは違う話が出てくることもあります。話すことを考えたことによって、心が次の段階に動いたのかもしれません。そういうときは、その瞬間に心に浮かんできたことを話してくださるのがいちばんです。「ああ、自分はこんなことを考えていたんだなあ」とあとから気づくことと思います。自分について、より深く知ることができるはずです。

もちろん「この話をしよう」と決めてカウンセリングに来て、その話をしっかりとすることによって、おさまりがつくいうこともあります。あるいは、長いあいだ心の重荷になっていた秘密を安全な場所で語ることによって、「荷おろし」をする人もおられます。こういう方たちは、比較的短期に終了される方たちです。自分なりに納得することによって、次の段階に進むことができるのだと思います。ある種の儀式のようなものかもしれません。こういうときのカウンセラーの役割は、「見届け人」や「証人」のようなものでしょうか。

自分のことはうまく話せない人も、好きなものについてなら話せることがあります。自分の憧れの人(アイドルやヒーローなど)、好きな本や映画、漫画やゲームなどの話です。え、カウンセリングでそんな雑談をするの?と思われるかもしれませんが、コミュニケーションの苦手な人や若い人たちにとって、自分が大切にしている世界を誰かに向かって表現することは、大きな意味があります。話をするということは、自分を開示するということ。傷つけられるかもしれないという恐れを抱いていると、なかなか話せません。話さなくてもすぐに困ることはないけれど、外界とのコミュニケーションを失うと、心はだんだん硬くなり、やせ細っていきます。視野も狭くなっていきます。カウンセリングは、硬くなった心をほぐすストレッチみたいな役目を果たします。それによって、その人の人生がうまくまわりだすことがあります。

1回話したくらいで納得、あるいは解決できないことは、何度でも繰り返し語ってください。それを聴くのがカウンセラーの仕事です。人生の問題には、解決しないこともたくさんあります。まぎらしたりごまかしたりしながら、時間稼ぎをするしかないときもあります。それでも実際には、同じ話をしているようでいて、少しずつ変化しているものです。その小さな変化を大事に育てながら、光の差す方向を見失わないように、少しずつ前に進んでいけるように、お手伝いができたらと願っています。(A)

 

 

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