トラウマ・PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状とカウンセリング
「トラウマ」とは
「トラウマ」という言葉は、日常会話でもときどき耳にすることが増えてきました。自然災害や事故、事件などの出来事によって強い精神的なショックを受けたとき、その体験がトラウマ(心の傷)となることがあります。出来事が終わった後も、大きな不安や恐怖が残り、日常生活や人間関係にネガティブな影響を及ぼすことがあります。
ちょっとしたストレスや不快な出来事であれば、誰かに話したり、時が過ぎる中でだんだん心の中で「消化」されていき、しばらくたてばあまり気にならなくなるものです。
ところが心理的な苦痛が非常に大きい場合などには、心はその出来事を受け入れることができず、「未消化」のままでトラウマとしてずっと苦痛が続くことがあります。その人が対処できるキャパを超えてしまうストレスが、心身にさまざまな不調をもたらすときにトラウマとなるのです。
地震や津波などの災害、犯罪の被害、性被害、いじめ、事故、虐待、身近な人の死、DV、戦争体験などがトラウマとなりうる出来事です。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)とは
トラウマという言葉が「心の傷」を意味するようになったのは19世紀のことでした。鉄道事故や、あるいは戦争によるトラウマが注目されました。
日本では、阪神大震災のときに、「心のケア」とともにPTSDという言葉が多くの人に知られるようになりました。
Post Traumatic Stress Disorderという名称からもわかるように、「ストレス」と関連した障害です。
PTSDは、仕事や人間関係などの日常的なストレスではなく、生命に関わるような危険を体験する、あるいは目撃するといったストレスが原因となって発症します。
とはいえ、同じ出来事に遭遇したからといって、すべての人がPTSDを発症するわけではありません。自然災害の場合では3%くらいの発症率と言われています。戦争や暴力などの他者による加害のほうがよりPTSDとなりやすいことや、男性と比べると女性のほうが発症しやすいことも研究で確かめられています。
これは、男性と比べて女性のほうが弱いからPTSDになりやすいというわけではありません。もともと戦闘トラウマから研究が始まったことを見てもわかるように、PTSDに苦しむ男性も大勢います。男性の場合はアルコールなどの依存症や衝動的な行動といった別のかたちでトラウマ反応が表れることがあるので、それが影響していると思われます(『プリズン・サークル』というドキュメンタリー映画には、刑務所に収監されている人の多くがトラウマ体験をもっていることが描かれていました)。
PTSDの3つの症状「回避」「侵入」「過覚醒」
災害や事故は、誰にとっても大きなストレスとなりうる体験です。ストレスによって、心身にさまざまな影響が起こることがあります。適応上の問題として表れることもあれば、PTSDの症状が見られることもあるでしょう。
PTSDの症状は、「回避」「侵入」「過覚醒」という3つが主なものです。
回避とは、トラウマに関連する事柄を避けるような行動特徴です。たとえば鉄道事故にあった後、「電車に乗れない、駅に近づきたくない」といったことです。また、感情や感覚が麻痺してしまうといったことも、回避症状に含まれています。
侵入、あるいは再体験とは、トラウマの記憶が突然思い出される「フラッシュバック」や、悪夢などです。
過覚醒とは、周囲の刺激に対して過度に敏感になり、眠れなくなったり、あるいは集中力が低下するような症状です。
いずれも、心身の危険の後では自分を守るために必要なことでもあります。
熊に襲われて命からがら逃げ出したとしたら、その後、同じ場所に近づかないとか、あるいは周りに敏感になるということがないと、また同じ目に合いかねません。
その意味で、トラウマは非常事態に対する正常な反応なのです。
ところがこうした反応がいつまでも続くと、心身の健康や日常生活が損なわれてしまいます。
上に挙げたような上昇が、トラウマ体験の四週間以内に生じた場合は、急性ストレス障害(ASD)と診断されます。症状が四週間以上続くときにPTSDと見なされます。
「回避」「侵入」「過覚醒」の3つの症状以外にも、めまいや頭痛のような身体症状も表れることがあります。
PTSDの治療とカウンセリング
PTSDの治療としては、心理療法(カウンセリング)と薬物療法が併用されることが多いでしょう。グループセラピー(カウンセリング)が適している場合もあります。
不眠や抑うつ症状、また「死にたい」といった希死念慮が強いときには、SSRIなどの抗うつ薬が病院で処方されることがあります。
心理療法(カウンセリング)には、いろいろな方法があります。
持続的エクスポージャー法(トラウマの記憶をあえて想起する方法です)やEMDR(眼球運動を利用して、トラウマ記憶を処理するアプローチです)といったトラウマに焦点づけられた治療法もあります。
災害などの後に、体験を語る場が必要だと考えられていた時期もありましたが、現在ではかえって害となることもあるので慎重に行なうべきだとされています。
ヨガや運動などの身体的な面からのアプローチが有効な場合もあります。
人によって、あるいは時期によって、その方法が適切かどうかは異なってきます。
どのようなアプローチを取るにせよ、まず大切なのは現在の環境や関係の安全性です。衣食住の安全が確保できて初めて心理的な問題に取り組むことができます。
そのときに、トラウマとは何か、どのような反応がありうるのかといった「心理教育」が行なわれることがあります。トラウマ反応について知ることが、PTSDを克服する第一歩となります。
そのうえで、自分を大切にすることや、フラッシュバックなどの再体験、あるいは解離症状への対処法を学ぶことが大切です。
また、トラウマ体験の影響で損なわれていた人間関係を改善し、上手に人と関わるためのスキルを再び獲得していく必要があります。
トラウマ体験の記憶に取り組むのは、「今・ここ」の安全が十分に育まれてからです。
トラウマ記憶と物語
トラウマの記憶は通常の記憶のあり方とは異なっています。記憶は大きく、「意味記憶」と「エピソード記憶」に分けることができます。意味記憶とは、「リンゴとはなにか」「犬とはどんな生きものか」といったことに関する記憶です。エピソード記憶とは、「先月私はお母さんと口論になった」「小学生のころ、裏山で迷子になって大騒ぎになったことがある」といったような個人的な体験の記憶です。エピソード記憶とは、誰かに語って聞かせることができるような、物語(ストーリー)の形をとった記憶なのです。私たちの人生は、さまざまな出来事を「物語」として保存しています。
しかし、トラウマとなるような出来事は、「エピソード記憶」となりません。
衝撃が大きすぎる出来事は、「意味のある体験」として心のなかに納められないため、生々しい感覚や情動、イメージの断片として残ってしまいます。
そのような記憶は、時間が経っても加工されません(私たちの記憶の多くは、時間とともに加工されて、より物語らしくなっていきます)。
トラウマ記憶は、いつまでたっても、最初に経験したのと同じような恐怖感やショックを伴って、侵入してくるのです。
『心的外傷と回復』を書いたジュディス・ハーマンは、トラウマからの回復について、「被害経験者が外傷のストーリーを再構成して語り、これによって外傷性記憶を変形しライフヒストリーに統合する」ことが大切だと述べています。
現代のトラウマセラピーでは、「語る」ことよりはむしろ身体的なアプローチが重視されています。時が熟していないのにトラウマを語ってしまうことで、症状がかえって悪化することがあるからです。
とはいえ、自分の人生に起こった出来事を体験として心に納めていくときに、時と場所を選んで言葉にしてみるということは、大きな意味をもっていると思われます。
ベトナム戦争に従軍した作家ティム・オブライエンは、『本当の戦争の話をしよう』(文集文庫)という作品で、次のように書いています。
四三歳、戦争が終わってからもう人生の半分が経過してしまった。でも記憶はありありと、まるで現在のことのようによみがえる。そして時には記憶が物語へと導かれていく。そのようにして記憶は不滅のものとなる。それが物語というものの目的なのだ。物語が過去を未来に結びつけるのだ。物語というのは夜更けの時刻のためのものだ。どのようにして過去の自分がこうしてここにいる今の自分につながっているのかわからなくなってしまうような暗い時刻のための。物語というのは永遠という時間のためのものだ。記憶が消滅してしまい、物語のほかにはもう何も思い出せない時間のための
トラウマの記憶は、時間や人間関係などの文脈から切り離されて、生のままで留まっています。その記憶が物語として加工されていくことで、過去と現在と未来が結びついていきます。
オブライエンはこのようにも書いています。
物語を語ることによって、君は自分の経験を客観化できるのだ。君はその記憶を自分自身から分離することができるのだ。君はある真実をきっちりと固定し、それ以外のものを創作する。君はある場合には実際に起こった物事から書き始める。たとえば糞溜め野原の夜の出来事だ。そして君は実際には起こらなかったことを創作して、その話を書き進める。でもそれによって君は真実をより明確に位置づけ、わかりやすくすることができるのだ
物語を語ることによって、経験を客観的にとらえて記憶に呑み込まれないでいられるようになります。それは同時に、トラウマによって奪われた人生の意味や目的を取り戻すような心の仕事になるでしょう。
【参考資料】
PTSD(心的外傷ストレス障害)に関するリーフレットー日本小児科学会