箱庭療法と遊ぶこと
箱庭療法とは
箱庭療法(Sandplay Therapy)とは、砂のしきつめられた箱のなかにミニチュア玩具を並べて何かを表現するという心理療法の技法です。
クライエントは、セラピストが見守る「自由で保護された空間」のなかで、箱庭作品を創っていくのです。「サンドプレイセラピー(砂遊び療法)」とあるように、「遊ぶ」ということが重視されています。
つまり、何らかの意図や目的をもって自分を表現するというよりも、楽しみながら玩具(アイテム)を砂に並べていったら、結果として何か感じたり気づきが生じることが多いのです。
砂箱は、国際規格では幅が72センチ、奥行きが57センチ、高さが7センチと定められています。実際に創ってみると、カウンセリングの時間内に何かを表現するのにちょうどいい大きさだということがわかります。
これくらいの大きさだと、最初に思っていたものを置くだけだとちょっと空間が残ることが多いのです。つい置いてみたものが、後で見ると意味をもってくることがあります。近寄ると砂箱が視界いっぱいになるので、その世界に没頭しやすいのです。
箱の内側は青色に塗られていて、砂を掘ると川や海、泉などの水を表現するのに適しています。
ミニチュアには、人形や動物、自動車などの乗り物、建物、また岩や木などの自然物が含まれています。ミニチュアの種類や数などは決まっていないので、カウンセラーの個性や考え方によって、雰囲気はずいぶんかわります。
どこかのお土産物や、子どもの玩具などが意外といい働きをするのです。
箱庭療法の背景と歴史
箱庭療法が誕生し、発展してきた歴史的な背景を少しふりかえってみます。
「SFの父」H.G.ウェルズが、1911年に発表した「フロア・ゲーム(Floor Games)」という、今でいうシミュレーション・ゲームがきっかけだったそうです。ウェルズは『宇宙戦争』や『透明人間』といった古典的なSFの作家として知られていますね。
「フロア・ゲーム」は、ミニチュアの兵隊などを使った戦争ごっこでした。
ウェルズのこの本は、ネットで全文ダウンロードすることができます(Project Gutenberg,”Floor Games”)。
このゲームからの着想で、イギリスの小児科医マーガレット・ローエンフェルド(クライン派の精神分析家でもあったそうです)が、「世界技法(The World Technique)」という技法を1929年に発表しました。
子どもの心理療法(プレイセラピー)に、ミニチュアを使った遊びが活用できると考えたのです。
The Legacy of Margaret Lowenfeld from Oliver Wright on Vimeo.
ローエンフェルドは、「モザイク・テスト」という心理テストも考案しています。
詳しくは知らないのですが、色紙コラージュみたいで面白そうですね。どんなふうに読み解くのでしょうか。
その後、スイスでドラ・カルフが、ユング心理学に基づいて「砂遊び療法(Sandplay Therapy, Sandspiel Therapie)」として発展させました。現在の箱庭療法は、カルフの方法に基づいて行われるのが一般的です。
もともと箱庭療法は子どものセラピーのための手法でした。
子どもや思春期の若者は、自分の心の内を言葉で表現することが難しいからです。言葉が追いつかないほど、変化が大きい時期なのです。
だから、遊びやイメージなどを通じての言葉に頼らない表現が治療の役にたつと考えられました。
現在では、大人の心理療法にもとても有効であると考えられており、幅広く用いられています。
大人の場合にも、言葉だけではうまく表現できないことが、イメージを通じて表れてきます。また、ともすれば頭でっかちになりがちな言葉優位な大人が、遊び心をもって箱庭を作ること自体が、治療的なのです。
日本には河合隼雄先生が1965年ごろに紹介したそうです。Sand Play Therapyを「箱庭療法」と訳したのも河合先生でした。
日本にはもともと盆景など箱庭で遊ぶ伝統があったところから、この名称になったようです。すべてを言葉にしないという文化にフィットしたからか、箱庭療法は日本でずいぶん広がりました。
各地の教育相談機関や、臨床心理士を養成する大学院に併設されたカウンセリングルームなどでも、積極的に用いられました(地域差や、大学による差はあると思います)。
臨床心理士を目指して大学院に入学し、最初にケースを担当するときには、子どものプレイセラピーや箱庭療法から入る人が多かったと思います。
個人的な経験としても、最初の頃のケースは箱庭などを使ったプレイセラピーが中心でした。言葉以外の関わり方を最初に学ぶということは、精神科医やソーシャルワーカーともまた違った、臨床心理士としてのケースの見方、考え方、関わり方を身につけるうえで、とても貴重な体験でした。
箱庭療法がなぜ治療的効果をもつのか
箱庭療法とは、言ってみれば、砂箱に玩具を並べるだけの単純な遊びです。
このようなことが、どうして心理療法になるのでしょうか?
もともとの名称が、“Sand Play Therpy(砂遊び療法)”であることからもうかがえるように、「遊び」ということがキーとなっているのです。
しばらく前に、ツイッターでエリク・エリクソンという精神分析家の言葉を紹介しました。
「最も豊かで満たされた人生とは、仕事、愛情、遊びという3つの領域の内面的なバランスを達成することだ」エリク・エリクソン
人生において困難な出来事に遭遇したり、あるいは悩みや苦しみを抱えているときには、「遊び」が入ってくるゆとりをもてません。「遊びがある」という表現は、物事にゆとりがあることを意味する言葉です。機械などの結合部が、急なストレスで壊れてしまわないように「遊びをもたせる」という言い方もありますね。
同じく精神分析家のウィニコットは、心理療法は「遊び」の領域で生じると考えていました。こんなことを書いています。
「探求することは、バラバラで無定形に機能することからのみ、あるいはちょうど中立地帯におけるように多分ばかばかしく見える遊ぶことから、生じてくる。ここでのみ、つまり、この人格の無統合状態においてのみ、創造的といえるものが出現可能なのである」(D.W.ウィニコット『遊ぶことと現実』)
カウンセリングや心理療法の技法は、どこか子どもの遊びと似たところがあります。
アートセラピーや絵画療法のように絵を描いたり、あるいはロールプレイやサイコドラマでは「ごっこ遊び」のようなことをします。言語的なやりとりが中心のカウンセリングでも、言葉遊びやダジャレのようなことが転機となることもあります。「うちの妻は鬼のような人なんです。鬼嫁です」と言うようなメタファーを使った表現にも、遊びが入っています。「夢分析」や「ドリームワーク」なども、どこか遊びの雰囲気がある方が、うまく展開していきます。
「ばかばかしく見える遊ぶこと」は、一見、目的や意図をもっていないようです。
けれどもその遊びのなかで、子どもは(あるいは大人も)いろいろな感情や思考を体験したり、試してみることができるし、そこから「創造的といえるもの」が表れてくるのです。
グレゴリー・ベイトソンは、遊びには「メタ・コミュニケーション的機能」があると考えました。オオカミの仔がじゃれて噛みあっているのは、「遊び」だということをどちらも理解していないとできません。「噛む」という獲物を捕らえるときの行為に加えて、「これは遊びだよ。本気じゃないよ」というメタ・メッセージが重ねられているのです。だからこそ、オオカミの仔たちは、安全で傷つかないようにしながら、狩りの予行練習をすることができるのです。
ここには箱庭療法がどうしてカウンセリングや心理療法に用いられるのかについてのヒントがありそうです。遊びのなかでなら、安全で傷つかないように、何かを体験することが可能になるのです。
こうしたことから、箱庭療法などの表現療法のもつ治療的な意味には、「自由に守られた遊びの空間の中で、これまでは不安や怖さのためにあまり触れられなかった感情や考えに、安全に触れることができる」「遊びの中で体験過程が促進される」といったことがあると考えられます。