言葉と体験過程『翻訳できない世界のことば』
『翻訳できない世界のことば』(エラ・フランシス・サンダース著、前田まゆみ訳、創元社、2016年)
カウンセリングルームの待合室に置くのにいいのではないかと思って、手に入れました。
ぱらぱらめくっていると、聞いたことのあることばや(日本語もいくつか含まれています)、まったく知らないことばが、イラストとともにたくさん並んでいます。
たとえばこんなことば。
オランダ語の「ヘゼリヒ」ということばは、単に心地よいという以上のポジティブで暖かい感情を表しているのだそうです。
「メラキ」(ギリシャ語)ということばは、料理など、なにかに魂と愛情をめいっぱいそそぐという意味だそう。ドラクエの呪文みたいですね。
タガログ語の「キリグ」は、おなかの中に蝶が舞っているようなすてきな気分とのことです。英語では、butterflies in one’s stomachは、「ひどく緊張して落ち着かない様子」を表すイディオムなので、国によってけっこう違うのですね。
ロシア語の「ラズリュビッチ」は、「恋がさめ、ほろにがい気持ちになる」意だと書かれています。「投影の引き戻し」とか「脱錯覚」「幻滅」といった心理学用語に似ていますが、「あの人のあんな姿を見ちゃって、なんだかラズリュビッチな気分だ」なんて言ったほうががっかりした感じが表れているような気がしなくもありません。
日本語の「ボケット」ということばも取り上げられていました。なにも特別なことを考えず、ぼんやりと遠くを見ているときの気持ちとの説明。ぼけっとするって、他の国のことばに翻訳しにくいのですかね。「ワビサビ」とか「ツンドク」という日本語も紹介されていました。この本にはなかったけど、土居先生によると「アマエ」も翻訳しにくいことばなんでしたね。
ヤガン語(初めて聞いた)の「マミラピンアタパイ」ということばは、同じことを望んだり、考えたりしている2人が、何も言わなくてもお互い了解しあっていることを表しているのだそうです。以心伝心とか阿吽の呼吸といった感じでしょうか。
ドイツ語の「ドラッヘンフッター」は、「龍のえさ」という意味で、夫が悪いふるまいを許してもらうために妻に贈るプレゼントを指しているのだって。ドラゴンへの貢ぎ物ですね。国やことばは違えども、「あ、わかるわかる」とおっしゃる旦那さんは多いのではないでしょうか。
ドラッヘンフッターなんてことば、初めてきいたのに「わかるかも」という実感が浮かぶのがなんとなく面白くて、そこから哲学者・臨床心理学者のユージン・ジェンドリンという人が提唱したフォーカシングや体験過程について連想しました。
フォーカシングとは、言葉になる以前の体験の流れ(他者や状況との相互作用のなかで感じられている体験のプロセス)を味わって、しっくりくることばやイメージにしてみることをうながすような方法です。
『翻訳できない世界のことば』を読んで思ったのは、「反対側からフォーカシングをしているみたいな感じ」でした。
「初めて聞くことば」を読んで、何度か口に出してみると、自分の中の「そういえばこんなフィーリング体験したことあるかも」といった感覚に触れることができます。
たぶんこれまでの人生で意識したことがなかっただろう体験やその感覚が、異国のことばによって浮かび上がってくるような感じです。
タグづけすることばがなかったためにすっかり忘れていた体験をふっと思い出すこともありました。たとえば「ムルマ」ということばは、オーストラリア先住民が使うワギマン語で、「足だけを使って、水の中で何かを探すこと」を表しているのだそうです。それを読んで、子どものころ、川遊びをしていて落とした鍵だったか何かを足で探って拾ったことを思い出しました。
そういう体験を思い出したからどうなんだと言われるかもしれません。でも、ちょっとしたことだけれど鮮明な感覚を伴って想起できる記憶というのは、人生をかなり豊かにしてくれるんじゃないかと個人的には確信しています。
その記憶の分だけ、心の引き出しが増えるのではないかな。
かささぎ心理相談室の待合室に置いておきますので、来談されたときによかったら手に取ってみてください。あるいはいつの間にかドラッヘンフッターになっちゃってるかもしれませんけれど。