お正月と家族の食卓
新年おめでとうございます。
年末年始、いかがお過ごしでしたか?
お正月という時期は、よくも悪くも「家族」について意識させられる人が多いのではないかと思います。
「家族」とひさしぶりに会って支えられる人もいれば、
「家族と会いたくない」と感じる人もいます。
「会いたい家族がいない」という喪失感や孤独を感じる人もいます。
正月は親やきょうだい、親戚などとぶつかること、傷つけられることも多く、しんどかったとカウンセリングで聴くこともよくあります。
どのように家族と食卓を囲むか(あるいは囲まないか)ということは、その家族の在りようをよく反映しているようです。
カウンセリングでも、その家の人間関係を知るために「家族の食卓」の様子を尋ねることがあります。
生まれたばかりの赤ん坊は、文字通り「自分で食べる」ことができないので、授乳してもらう必要があります。
乳離れして家族の食卓に迎え入れられるようになっても、しばらくは離乳食を口に入れることになります。
成長すると、食べるときの食器の使い方や「いただきます」「ごちそうさま」という挨拶などの「しつけ」を身につけていきます。
こうした家庭での「しつけ」を通して、また、幼稚園や小学校での集団での食事などを通じて、子どもは社会的なルールを学んでいくのです。
思春期ごろになると、たまに友達と外食するのが楽しくなる一方で、「家族の食卓」はなんとなく息苦しい場と感じられることも増えてくるようです。
思春期・青年期は、自立への欲求が高まる時期ですが、「自分で食べる」ことはまだできないことも多いため、葛藤や緊張も強くなります。
滝川一廣先生は、「表象としての食卓」という文章で次のように書いています。
現代の家族は一方で、自然的に濃やかな情愛による結びつきの世界、親密な心理的相互関係の世界へと凝集してきたと思われる。個人の情愛が「家」のために圧し殺されねばならなかったり、一家をあげて日々の労働にのみ追われねばならない事態は、現在はずっと少ないにちがいない…しかし、ふたつよいことはなく、その一方、こうした濃密な情愛と心理の――生身の――世界はちょっと間違えれば、愛憎の複雑に絡み合った心理葛藤を浮き立たせる世界ともなりやすいにちがいない…〔そして〕いったん心理的な絆――自然的・<性愛>的な情愛の関係――が綻びた場合、それでもなお家族を(外から)結合させておく絆が弱まっている。これが現代の家族を脆くみせているものの正体ではないだろうか(1)。
時代とともに、「食べていく」ための生活共同体としての家族から、情緒的・心理的な相互関係の場としての家族へと変化してきたということですね。
・核家族化
・少子化できょうだいが少なくなっていること
・思春期・青年期の時期が長くなってきたこと
なども、家族間の情愛や心の葛藤、傷つきを複雑にしている要因だと考えられます。
拒食や過食などの摂食障害や、不登校・引きこもりなどの現象も、家族のあり方の変化を背景にして、注目されるようになってきたということができるでしょう。
註
(1)滝川一廣「表象としての食卓」『新しい思春期像と精神療法』金剛出版、2004年
雪だるまつついて笑う初鴉