かささぎと盗み
かささぎという名前を聞いて、みなさんはどんなことを思い浮かべますか。
鳥の名前であることはおそらく多くの方が知っておられるのではないかと思います。でも、じゃあどんな鳥かというと…けっこうあやふやだったりしませんか? 「かささぎ心理相談室」という名前を伝えると、「かささぎ? ええと、サギの仲間だったかな」という反応がけっこう返ってきます。
私たちも名づけの過程で調べて知ったのですが、実はかささぎはカラスの仲間で、サギ類ではありません。カラスはお世辞にもあまり人気者とはいえない鳥ですが、かささぎは縁起のよい鳥らしく、勝利を導いたり幸運を運んだりする鳥として知られています。とはいえそこはやっぱりカラスの仲間、ときどきは悪戯をしたりもします。
かささぎと聞いて村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』第1部タイトル、「泥棒かささぎ」を思い出した方もいらっしゃるのではないでしょうか。あるいは、このタイトルが由来しているロッシーニの『泥棒かささぎ』序曲のほうを連想された方もいらっしゃるかもしれません。
「泥棒」というのはけっしてよい響きのことばではありませんが、「大事なものを盗んでいく存在」というのは、物語ではけっこう重要な役割を担っていたりします。「消えたもの」「奪われたもの」を探すというのは、物語の定番ですね。
盗まれたものや消えたものを探すために、登場人物はなんらかの行動を起こすことになります。誰かに会いにいったり、旅に出たり、仲間をつくったり、異世界に出かけたり、あるいは井戸にもぐったり。そのプロセスでさまざまな体験をし、なにかを見出し、それが物語の骨格となっていきます。
盗まれたものや消えたものが無事に見つかって大団円――という物語もありますが、「探し求めているもの」と「見出されたもの」が一致しない物語もしばしばあります。そういう物語では、その落差やズレをつうじて、生きることのアイロニーや、登場人物の成長が描かれます。そこにあるのは諦念であったり、痛みであったり、赦しであったり、解放であったりさまざまです。でも、探すという行為、あるいはプロセスそのものが重要であるという点は、共通しているように思います。何を見出すかではなく、「探すこと」が生きることそのものであるということ。きっと物語に登場する泥棒とは、どこかからともなくやってきて、なんらかの停滞を抱えている主人公を生きることに誘い出す存在なのです。私たちのこころの世界には、そういう「泥棒」がいるのでしょう。
ところでロッシーニのオペラでかささぎが盗むのは、銀のスプーン。光り物が好きなところはいかにもカラスの仲間です。ちなみにかささぎの学名はPica pica というのだとか。ピカピカ。おもしろいですね。 (A)