アマビエと鯰絵−民衆的想像力
休校中の子どもたちもだんだん退屈してきて、在宅勤務に「意外といけるかも」と喜んでいた会社員たちもそろそろ「メリハリがもてない」「おやつ食べながら仕事するので太る」「お昼の後、寝てしまう」「もう飽きてきた」「顔を合わさないと、どうもうまくいかない」とデメリットも感じ始めたらしい今日この頃です。
Twitterでここ数日よく目にする「アマビエ」という妖怪のイラストが気になってきました。
新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、江戸時代に流行し、疫病退散に御利益があると信じられた妖怪「アマビエ」が人気だ。ツイッターなどに自作のイラストを投稿する動きが広がっており、研究者は「江戸時代の人の心理とあまり変わらない」と分析する。
アマビエという妖怪は、髪が長くて鱗のある人魚のような妖怪で、肥後(熊本)の海から姿を表して、「この先6年は豊作が続く。疫病が流行した際は、私の姿を描き、人々に見せよ」と語ったとの言い伝えがあるのだそうです。
アマビエとは、こんな姿をした妖怪のようです。
なんだか現代のうま下手系漫画家が描いたイラストのような、なんとも言えないかわいさですね。ゆるキャラ的な感じですね。
つい「甘エビ」と読んでしまいそうになりますが、「アマビエ」です。
この伝承に従って?Twitterに生息する多くの絵師が、アマビエのイラストを上げているらしい。
アマビエというハッシュタグで検索すると、たくさんのイラストやフィギュアがあらわれます。
Wikipediaには、次のように書かれています。
弘化3年(1846年)の4月の中旬頃。毎晩のように海中に光る物体が出現していたため、ある夜に町の役人が海へ赴いたところ、このアマビエが現れていた。その姿は人魚に似ているが、口はくちばし状で、首から下は鱗に覆われ、三本足であった。
役人に対して自らを「海中に住むアマビエである」と名乗り、「この先6年間は豊作が続くが、もし疫病が流行することがあれば、私の姿を描いた絵を人々に早々に見せよ」と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行った。
この話は当時の瓦版で人々に伝わり、アマビエの姿も瓦版に描かれて人々に伝えられた。
「私の姿を描いた絵を人々に見せよ」とアピったアマビエにあやかって、Twitterでイラストが拡がっているということのようです。
原発事故の放射能のときもそうでしたけれども、ウイルスのような、目に見えない危険に対して、私たちはどうしても不安を抱くものです。
手洗いや消毒をしたり、適切にマスクをしたりといった、現実的な対処行動をすることももちろん必要なのですが、「目に見えない危険」に対しては、何が現実的なのか、妥当な対処なのかということがはっきりしません。
そういうときに、現代にいる私たちがやることといったら、
「google先生に聞いてみる」
ということが多いのではないでしょうか。
「新型コロナウイルス 予防」
と検索してみたりしますよね。
あるいはテレビや新聞などを見て、最新の情報を集めようとするのではないでしょうか。
でも、かささぎ心理相談室の同僚が書いた、
「情報の過食にご用心」
という記事でも触れられていましたが、
調べるのをやめられなくなることってありませんか? 知りたかったことについてある程度情報は得たのに、文字を追い続けてしまう。あるいは、今それについてそれほど知りたいわけでもないのに、スマホをおくことができなくなる、クリックし続けてしまう。頭も目も疲れてくるのに、やめられない。
ということもあるんじゃないでしょうか。
そんな状態になると、
情報の過食も、もう頭のなかは言葉で溢れているのに、脳が熱を帯びたような状態になっていて、次から次へと情報を詰め込んでしまう。ただの調べものならまだいいのですが、心配ごとがあるときには、情報が多すぎるとかえってどうしていいかわからなくなったり、不安が大きくなったりすることもあります。
といったことになるかもしれません。
なんせ、相手がウイルスという目に見えない存在だから、いくら調べてもはっきりしたことがわからず、キリがなく検索したりテレビを見たりして、不安ばかりが膨らんでいくのですね。
ある程度、科学的にウイルスや病気の仕組みがわかるようになった現代ですら、みんな不安になっているわけですから、科学的な知識の乏しい江戸時代の人たちは、同じような流行病に対して、強い恐れや不安を抱くのは、無理もありません。
そういったとき、アマビエのような妖怪が、ちょっとかわいらしいビジュアルを添えて提示されるということは、心理学的に見て意味があることなのかとも思うのです。
ナラティヴ・セラピーでは、「問題を外在化する」といった手法がよく用いられます。ナラティブ・セラピーという視点を提唱したマイケル・ホワイトは、外在化について、次のように述べています。
外在化とは、人びとにとって耐え難い問題を客観化、または人格化するように人びとを励ます、治療におけるひとつのアプローチである。この過程において、問題は分離した単位となり、問題とみなされていた人びとや人間関係の外側に位置することになる。問題は、人びとや人間関係の比較的固定化された特徴と同様に、生来のものと考えられているが、その固有性から解き放たれ、限定された意味を失っていく。
ホワイト&エプストン 『物語としての家族』(金剛出版、新訳版2017年)
アマビエのような妖怪も、ウイルスの感染症のような耐えがたい問題を「人格化」「客観化」して、少し距離をもてるようにするための、ひとつの文化的な工夫・装置だと考えられます。
距離がもてると、「じゃあ、このアマビエくんに、どう対処すればいいだろう」「どう関わったらいいか」と、コーピングするゆとりや知恵も生まれてくるのです。
江戸時代の安政大地震(1855年)の後、「鯰絵」という「大鯰が動くことで地震が引き起こされる」という民間信仰に基づいて描かれた版画が流行ったことがあります。
鯰絵は、地震に対する護符や守り札にされたり、相次ぐ天災や政治的な混乱による民衆の欲求不満を満たすものとして広がりました。
オランダの人類学者のアウエハントは、民俗学者の柳田國男のもとで、この鯰絵について研究しました。(アウエハント『鯰絵』せりか書房、1989年)
江戸で起きた大地震では、1万人ほどの死者が出たと推計されています。また、1850年代の日本では、こうした大きな地震災害が頻発していたそうで、1854年(安政元年)には、南海トラフ巨大地震の一つである安政東海地震が発生しています。
安政二年の江戸大地震の後、江戸では、多色刷りの「鯰絵」が大量に出回りました。ナマズが大地震を起こすという俗説は江戸時代中頃には民衆の間に広まっていたようです。
当時の書籍や浮世絵は、贅沢品とみなされて幕府の検閲を受けていましたが、鯰絵は無届けの不法出版物として、庶民の間に急速に広がりました。
地震災害から身を守る護符として、また、不安を取り除くためのまじないとして流行したのです。
いくつか、実際の鯰絵を見てみましょう。
これは、地震を引き起こしたとされる大鯰を、民衆が懲らしめている絵ですね。家屋が倒壊したり、身近な人が亡くなったり、日常生活が壊されるといったなかで、やり場のない怒りや不安をぶつける対象として「大鯰」が外在化されていると言えます。
こちらは、大鯰を押さえつける鹿島大明神の絵です。
鹿島神宮の祭神である武甕槌大神(タケミカヅチ)は、雷や剣の神様であり、相撲の元祖とされる存在でもあります。このタケミカヅチが、要石によって大鯰を封じ込めるという言い伝えが、当時、広く信じられていました。
鯰絵では、地震を引き起こした鯰を退治して懲らしめる神様として、鹿島大明神(タケミカヅチ)が描かれたのです。
懲らしめられた鯰は、地震を起こしたことを謝罪したり、あるいは反省して被災者の救助を手伝ったりもします。
他にも、地震後の復興景気で大工や木材商が大きな利益を上げたことを風刺する絵や、災害を「世直し」として捉え、幕府にちくりと皮肉を言うようなものなど、ユーモアと風刺に富んだ数多くの鯰絵が作成されています。
国際日本文化研究センターの「鯰絵コレクション」で、災害の後、民衆の想像力がどのように展開したかを見ることができます。面白いですよ。
アウエハントによると鯰絵に登場する鯰は、魚の姿で描かれるものと人の姿をした魚(鯰男)として描かれるものとに大別されます。
詳しくみると、「鹿島大明神」が剣や要石で鯰を押さえつけているもの、鯰が鯨や火神・雷神と置き換えられたり同一化されたりするもの、瓢箪で鯰を押さえようとする人または神、鯰がカバヤキにされたりこらしめられたり、あるいは逆に鯰が大判小判を降らせる救済者として描かれているもの、未来の楽園、世直し、世界の再生などを表現しているもの、などの鯰絵があります。アウエハントは、こうした鯰絵のイメージの全般的な性格は次のようにまとめました。
1 地震という大事件を描いた絵画表象および鯰の怪物に関するさまざまな地震伝説類に加えて、
2 民族版画の絵と詞書には、ある種の社会的傾向が、嘲笑や皮肉、駄洒落、掛詞などを用いて、巧みに表現されている。
3 この表象世界では、その主要な表現が両義的構造と密接に関連して特徴づけられている。さらに、それは民族宗教に根をもっている観念と結合し、地震が起きるとある特殊な形で復活する。
4 表象世界での鯰は、人格化および同一化によって、人間のレベルにまで引き上げられる。
アウエハントの師匠であった柳田國男は「物言ふ魚」という一文で、魚と災害の関わりを語る伝承や昔話を取り上げました。
人間が魚を捕まえると、その魚は地震や津波などの災害を予言します。たいていの話では、人間が「物言ふ魚」のメッセージを十分に受け取らないために、災害に見舞われてしまうことになっています。
柳田國男が紹介した伊良部島の伝承では、「ヨナタマ」という人面の魚を釣った男の話があります。人面魚体ということなので、人魚みたいなものですかね。そういえば、アマビエも人魚の一種なのかな。
人に食べられそうになったヨナタマが災いを予言すると、大津波が襲ってきて、村は跡形もなく流されてしまうというストーリーです。
「鯰絵」もまた、「物言ふ魚」を初めとした神話や昔話のモチーフを借りながら、形づくられています。
アウエハントによると、茨城県には、鯰にまつわる次のような昔話が伝わっています。
安政江戸地震の直後、鹿島で老人が囲炉裏端に座って人々に地震について語っています。老人は、鹿島大明神が留守のときに大鯰の配下である「鯰男」が人間の世界にあらわれて、地震を起こしたり、悪さをするのだと話します。
そんな話をしているまさにそのとき、突然扉が開いて、真っ黒な鯰男が入ってこようとし、同時に部屋はグラグラと揺れだすのです。老人は囲炉裏の大鯰が彫られている自在鉤(地震避けのお守りとされる)に注意するように人々に言い、火箸でつついて鯰男を追い返したのでした。
ここに登場する鯰男は、異界から日常に侵入してきて災いをもたらす存在ですが、同時に、大鯰の掘られた自在鉤に表れているように、災いから守ってくれるものでもあるという両義的なイメージを担っています。
破壊と再生(救済)という二つの相反する側面をもっているわけですね。
「鯰=トリックスターの両義的役割が、聖なる出来事として経験される地震という舞台装置に対して、世俗的な表現形式であるユーモアや風刺といった庶民的なやり方で提示」されている、とアウエハントは書いています。
江戸の庶民の想像力によって生まれた鯰は地震災害という外傷的な状況において揺らいだ心のなかの破壊と再生、善と悪といった両極的な空想の調和を表しているようです。
鯰絵は、後世の風刺画にも影響を与えています。1862年(文久2年)のときのはしか絵は、当時、治療ができないとされた天然痘を防ぐ護符として流行しました。
はしか絵については、ローテルムンド『疱瘡神ー江戸時代の病いをめぐる民間信仰の研究』(岩波書店、1995年)という本で、災いのシンボルであった疱瘡神が、さまざまな疫病除けのまじないとともに、守護神として祭り上げられていく過程が描かれています。
アマビエもまた、「物言ふ魚」のひとつなんでしょうね。
新型コロナウイルスという目に見えない疫病を「外在化」「人格化」して、「守り神」とすることで、病気に対する不安や生活の困難、政府に対する不満などを、ユーモアをもって対処できるようにする、人々の工夫といえるのではないでしょうか。
*2020年4月11日追記
厚生労働省まで、新型コロナウイルスへの対策にアマビエを使ってるんですね。