妻の気持ちがわからないー心の理論とメンタライジング

妻の気持ちがわからない

「妻の気持ちがわからない」「あの人(夫)の考え方が宇宙人すぎて」といった夫婦間のディスコミュニケーションについて相談を受けることがあります。

なんでカウンセラーがあなたの奥さんのお気持ちを知っていると思ったのでしょうか。メンタリストとは違うんです。

でも臨床心理士は「心の専門家」として売り出されてきたという経緯もあるので、「専門家なら何かわかるのでは」と期待されるのも無理もないかもしれません。

でも正直なところ、かくいう私も、(自分の)妻の気持ちなんてさっぱりわからないんです。

臨床心理士(あるいは公認心理師)は、わからないことをわからないままに抱えて、コミュニケーションを続けていくことが専門なんです。

少し声を大きくして、そう主張してみたい気持ちにもなりましたが、あんまりぱっとした意見ではないですね。

メンタリストとかスピリチュアル ・カウンセラーだったら、ここで切れ味鋭いことをビシッと言えるんだろうけどなあ、なんて思いつつ、でも何か思い浮かぶことを書いてみます。

心の理論

発達心理学の分野で、「心の理論」(theory of mind)ということばがあります。

私たちの世界を「ものの世界」「こころの世界」にわけてみます。私たちは、ものが物理的な法則に従っていることを知っています。

「ガラスに石を投げると割れるだろう」とか、「三階から飛び降りたらケガをするかもしれない」といったことを、子どもは遊びやいたずらを通じて学びます。

そう、いたずらって世界の理(ことわり)を学ために大切なことなんですよね。

子どもは成長のなかで、ものの世界を理解するために自然と「理論」を身につけていきます。それと同じように、こころの世界を理解するにも「理論」が必要だというのが「心の理論」です。

「心の理論」は1978年にアメリカの心理学者のデイヴィッド・プレマックらが「チンパンジーは心の理論を持つか」という論文で提唱した概念です。

チンパンジーは、高い知能をもっているし、集団生活を営んでいますので、他の個体の「こころ」を理解していて、相手が何を意図しているか、どんな知識を持っているか、といった心の状態を推測することができるのではないか、という問いかけです。

その後、心理学者たちは「誤った信念課題」(false belief task)というテストを開発して、人間の幼児期の「心の理論」がどのように発達していくか、といったことを研究しました。

たとえば次のようなテストです。

マクシという男の子が、「緑」の戸棚にチョコレートを入れました。ところがマクシのいない間にお母さんはそれを「緑」から「青」の戸棚に移してしまいます。「帰ってきたマクシはチョコレートがどこにあると思っていますか?」と尋ねると、3〜4歳のほとんどの子どもは「青」と間違って答えてしあうのです。ところが、4歳を超える頃から正答率が上がっていきます。

もう少し難しい問題としては、「アイスクリーム課題」というものがあります。こんな話。

「ジョンとメアリーは公園にいる。公園にはアイスクリーム屋さんの車も来ていた。メアリーはアイスクリームを買いたかったがお金を持ってきていなかった。アイスクリーム屋さんは午後も同じ公園にいるというので、メアリーはお金を取りに戻った。しばらくしてアイスクリーム屋さんは教会に行くとジョンに伝え、去っていった。その途中、メアリーの家の前を通ったアイスクリーム屋さんは、メアリーに教会に行くことを伝えた。しばらくして自宅に戻ったジョンは、宿題のことで聞きたいことがあり、メアリーの家に行ったが、メアリーはすでにアイスクリームを買いに出かけていた。ジョンはメアリーを追いかけて行った」

質問「ジョンはメアリーがどこに行ったと思っているか」

脳科学辞典

これは先ほどの「マクシ課題」と比べると、少し複雑です。

「メアリーはアイスクリーム屋さんが公園にいると思っている、とジョンは思っている」という2段階の誤り(二次的誤信念)がわかるかどうかを調べているのですね。

ええと、漫画にしたら、ジョンの吹き出しの中にメアリーがいて、そのメアリーの頭からも吹き出しが出ているといった感じでしょうか。

「アイスクリーム課題」の正答率は5歳児で19%、6歳で66%、7歳は78%、8歳88%、9歳で94%だそうです。

イギリスの心理学者バロン=コーエンらは、自閉症児を対象として「心の理論」を研究しました(1985年)。

そして、11歳を超える高機能自閉症児(つまり、知的には問題はない子たちです)でも、誤信念課題の一つである「サリーとアンの課題」の正答率は20%しかないということを明らかにしました。この課題も、定形発達の場合、ほとんどの子が4、5歳で正答できるようになります。

マインド・ブラインドネス

バロン=コーエンは自閉症の中核的障害は「心の理論」の欠損だと考えました。『自閉症とマインド・ブラインドネス』という本の中で、他者の心を読み取ることの障害を「マインド・ブラインドネス」と呼びました。

この本では、他者の心を理解するための4つのモジュールが提唱されています。

という4つです。

バロン=コーエンは、自閉症の子どもたちは「共有注意」の段階でつまづきやすく、そのため「心の理論」の発達が難しいと考えました。

共有注意とは、いってみれば「同じものを眺める」ということですね。

共に眺める

母と子が同じ何かを見つめることで心が通い合う、そうした機微を描いた浮世絵が日本にはいくつもあります。

北山修先生の『共視論』という本には、「共に視る」という構図が、母子の心の交流と一体感からの分離、象徴や言語の使用につながっていくことが、浮世絵を通じて考察されていました。

母と子が共に見つめている対象は、たとえば蛍や花火、シャボン玉など、はかなく消えていくものです。

小津安二郎の映画『おはよう』では、なんとなく両思いっぽい男女が、駅で同じ雲を見ておしゃべりしているシーンがありました。

(「同じ月を見上げる」でも取り上げています)

そうそう、「妻の気持ちがわからない」問題でした。

それは「心の理論」の問題なのか、それともより情緒的な「共感性」の問題なのでしょうか。

あの時同じ花を見て

美しいと言った二人の

心と心が今はもう通わない

あの素晴らしい愛をもう一度

あの素晴らしい愛をもう一度

「あの素晴らしい愛をもう一度」

って、この歌も北山修先生の作詞でしたね。

「心の理論」は誤信念課題に表されているように、認知的な側面が強調されているようですが、「同じ花を見る」という共有注意によって「通いあった心」はより情緒的なつながりを表しているようです。

メンタライジング

「心の理論」に少し似た概念に、力動的な心理療法でよく聞く「メンタライジング」(とかメンタライゼーションとか)という言葉があります。

メンタライジングは、「心で心を思うこと」などと説明されることもあります。自分や他者の心の状態について注意を向けて、感じたり、考えたりすることといえます。心の理論と比べると、こちらの方がより情緒的なものや自己へのリフレクション、関係性への視点などが含まれているようですね。

メンタライジングの能力は、自分自身を振り返って、少し外側から眺めてみたり、内側から感じてみたり、あるいは相手の立場に立って考える・感じることでも発達していくと言われています。マインドフルネス(特に慈悲=コンパッション の養成)によっても、同じような効果が得られるんじゃないでしょうか。

いや、でもやっぱり、他人の気持ちはわかんないもんですよねえ。

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