夢あわせのまにまにー夢占いとカウンセリング
春のうたた寝と夢
長い夢を見ていました。
毎年、春先は何故かよく夢を見ます。
人間にも冬眠する動物と似たところがあって、冬は長く眠り、春から夏にかけては睡眠時間が短くなる傾向があるのだそうです。日の長さだとか寒暖差の大きさにも関係しているようです。
あれ、でも「春眠暁を覚えず」という言葉もありますよね。
春は心地よくて、いつ寝たんだか、いつ目覚めたんだかわかんないくらいよく寝るよねといった意味ではなかったか。
Google先生に尋ねてみると、唐の時代(七〜八世紀)の孟浩然(もうこうねん)という詩人の「春暁」という詩だそうです。
漢詩をそのまま引用しておくとなんかかっこよさげなので、全文、コピペしてみます。著作権は切れているハズ。
春 眠 不 覚 暁
処 処 聞 啼 鳥
夜 来 風 雨 声
花 落 知 多 少
春の眠りは心地よいので、半分寝ていて半分起きてるような状態で、鳥の声を聴いたり、ぼんやりと花のことなどを考えてるといった意味合いでしょうか。
しっかり寝ている時間は減るけれど、その分うつらうつらのひと時が長くなるってことなんでしょうね。
だから夢もよく見るということなのだと思います。
夢占いあるいは夢の意味
夢の中では、確かに別の人生を歩んでいて、誰かと出会ったり、別れたりしたというぼんやりとした感覚が残っています。
目覚めてすぐは、夢で起こった出来事をはっきりと覚えていて、これはどこかに書き留めておかなくちゃと思ったものの、日常のあれやこれやが始まると、その記憶は海辺の砂に描いた文字のように儚く消えていきます。
カウンセリングや心理療法の仕事に携わっていると、人の夢を聴く機会がよくあります。こちらから、「最近見た夢で印象深いものはありましたか?」と尋ねることもあります。
「この夢はどんな意味があるのでしょう?」と聞かれることも多いのですが、カウンセラーだからといって「夢の意味」がすぐ分かるというものでもありません。
「夢占い」はいつの時代も人気なようで、巷の書店には「夢占いの辞典」のような本がたくさん並んでいますし、インターネットにも夢占いをテーマにしたサイトが多くあります。
インターネットでは、「夢占い」というキーワードで、GoogleとYahoo!合わせて月間六十万件ほども検索されています。
ちなみに「カウンセリング」の検索数は月間六万件くらいですね。
それだけ人は「夢の意味」に関心があるということですね。
でも「夢の意味」があらかじめどこかに(たとえば無意識などに)あって、カウンセラーはそれを知ることができて、夢見手にその意味を解釈する、というモデルは必ずしも正しくはないのです。
夢見手にとってもカウンセラーにとっても、夢は「よくわからないけれど、何らかの意味やメッセージを持っていそうなこと」としてカウンセリングの文脈に入ってきます。
というより「そのようなもの」として丁寧に夢に耳を傾けてみましょう、ということが夢を扱うお作法なのです。
だからポイントは、夢の意味というよりは「よくわからない」ことに触れるというところにあるのだと思います。
だから「この夢はこういう意味に違いない」と決めつけてしまう態度も、よくないということです。
夢分析において一瞬たりとも忘れてならないことは、不確かなこと以外は確かなことなど何もない、あてにならない地面をわれわれは動いている、ということである。それほど逆説的でなくとも、夢を解釈する人に次のように呼びかけたい気分である。「分かろうとさえしなければ、何をしてもよい」
C.G.ユング
解釈によって「分かる(分かったつもりになる)」と夢やイメージは、ピンで標本箱に止められた蝶のように生き生きとした動きを失ってしまうとユングは考えていました。
夢あわせのまにまに
夢の解釈をすることを、古代、「夢あわせ」と読んでいました。
『摂津国風土記』には、次のような物語が伝わっています。「刀我野に立てる真牡鹿も、夢相のまにまに」という諺の由来となった「夢野(イメノ)」という物語です。
摂津国風土記にはこのようにある。
雄伴郡(をとものこほり)には夢野(いめの)がある。
父・老が共に伝えて言うのは、昔 刀我野には牡鹿(おじが)がいた。その嫡(本妻)の牝鹿は この野に居り、その妾の牝鹿は淡路国の野嶋に居た。
この牡鹿は野嶋に行って妾をとても愛おしんだので、その日は嫡の元には帰らなかった。その翌日、牡鹿は嫡の牝鹿に「今夜 夢を見たが、私の背に雪が降り積もっていた。また、(背の上に)すすきという草が生えているのもみたが、この夢は何の兆しだろうか」と言うと、嫡の牝鹿は夫が妾の所に向かうのを憎み、偽って「背の草が生えるというのは、背の上を矢で射られるという兆しでしょう。また、雪が降り積もるというのは鹽(塩)を宍(肉)に塗られる兆しでしょう。あなたが淡路の野嶋に渡るのであれば、必ず船人と遭遇して海中にて射たれ死ぬことでしょう。謹んで往復してください」と言った。
しかし、その牡鹿は妾を愛おしむあまりに野嶋に渡っていき、海を行く船に遭遇して射殺されてしまった。よって、この野は夢野と名付けられた。土地に伝わる説に「刀我野に立てる眞牡鹿も、夢相のまにまに」というものがある。
摂津風土記逸文「夢野」
雄伴郡(をとものこほり)とは、今で言うと神戸市の須磨区から長田区、兵庫区、中央区、灘区、北区の一部あたりの土地だそうです。兵庫区の会下山の坂を下ったあたりに草原があって、そこが刀我野(とがの)と呼ばれていました。現代では、神戸の夜景スポットですね。
そこに住んでいた牡鹿とその妻の鹿ですが、物語を読んでもらえばわかるように、夫は浮気性で、淡路島の愛人(の鹿)の元に泳いで通っているというわけです。
それが嫌な妻は、牡鹿が見た夢を「背の上を矢で射られて、肉に塩を塗られるという兆しでしょう」と解釈します。
こうやって脅しておけば、愛人のところに行くのを辞めるのではないかと期待したのですね。
そんな妻の気持ちが分からない夫の鹿は、懲りずにまた海を渡ろうとして、船から射殺されてしまいました。そして、この野は「夢野」と呼ばれるようになったというストーリーです。
神戸の兵庫区の上の方にある夢野八幡神社の名称もこの物語に由来しているんですね。
さて、われわれはこの物語からどんな教訓を学ぶべきでしょうか?
「浮気なんかするもんじゃないよ」
「女性を怒らせると怖いぞ」
「淡路島まで泳いで渡るのは危ない」
「夢のお告げを軽んじてはいけない」
どれも一理ありそうですが、ここで注目しておきたいのは、「夢を解釈したことが、未来の現実を引き寄せた」というところです。
妻の鹿も、まさか夫に本当に死んでしまえと思っていたわけではないでしょう(そうですよね? え、違うの?)。
「刀我野に立てる真牡鹿も、夢相のまにまに」
という言葉が意味しているのは、「人はもとより鹿でさえ夢あわせの通りになるものですよ」ということです。だから、夢あわせは、慎重に行う必要があるというわけですね。
『古代人と夢』(平凡社、1993)を書いた西郷信綱は、「夢野」の説話を引きつつ、次のように言います。
夢は善くあわせるとその身の幸となり、悪くあわせると凶になると昔の人は信じていた。つまりこの諺は、夢解きがいかに重大であるかをさとしたものである。
夢あわせーーこれも一種の祭式であるーーにしても、もしそれが夢見たものの挿入されている状況、その生活史において合わされるならば、現実が夢を模倣し再生産することだって大いにありえたはずである。
『古代人と夢』(平凡社、1993)を書いた西郷信綱は、「夢野」の説話を引きつつ、次のように言います。
夢あわせは一種の儀礼であり、良く解釈するか悪く解釈するかで現実も変わってくると言うのですね。西郷は、古代の夢あわせとフロイトの精神分析療法を比べながら、夢あわせとは「未来を神話的にからめ取るわざ」であるとも書いています。
刀我野の牡鹿が妻の夢あわせの通りに矢に射られて死んでしまったように、うっかりネガティブな解釈をしてしまうと、現実が夢を模倣して否定的な未来を引き寄せてしまうことにもなりかねません。
「この夢はこういう意味だ」と決めつけてしまうことはやめて、わからないものはわからないままに、でも好奇心をもって夢を味わうという関わり方が、夢の豊さに触れるには適しているのでしょう。
「夢野」は神戸に由来する説話でした。神戸でカウンセリングをお探しの方はかささぎ心理相談室へどうぞ。