「田所さんって、何なんですか?」
「田所さん」というタイトルの短編小説があります。20年以上前に発表された吉本ばななさんの作品で、私が最初に読んだのもその頃だったかと思います。ふしぎに記憶に残る作品で、ふとしたときに思い出します。
田所さんというのは、「私」が働いている小さな会社にいる、70歳前後の男性です。毎日きちんと10時にきて、特になにをするでもなく席に座ってコーヒーを飲んだり、本を読んだりして過ごし、6時になったら帰る。「会社のマスコットのようなひとよ」と説明されたりもするのですが、小さなつるんとしたおじいさんで、どちらかというと不気味な見た目です。以前は社員として、定年後はアルバイトの扱いになっていて、お給料ももらっています。自分のデスクもちゃんとあります。田所さんが会社にいる理由としては、一応、社長にとって恩義のある人だから、という説明がされています。
「私」もそうだったのですが、会社に新しく入ってきた人たちは、もれなく田所さんの存在に疑問を持ち、「田所さんって、何なんですか?」と質問します。そりゃそうですよね。説明されたところで納得はしないのですが、やがてみんな、田所さんがいることに慣れていきます。それだけでなく、田所さんが休むとわけもなく暗い気持ちになり、誰もいない席に目をやったりするようになります。「私」はそんな田所さんのことを、「昔学校の校庭のすみっこで飼うことを許されていた猫みたいだ」、あるいは「ビルの谷間の小さな花壇みたいだ」と思ったりします。
「私」は学生時代、別のもっと大きな会社で事務のアルバイトをしたことがあります。いちばん忙しい時間帯、全員が一心に仕事をするはりつめた空気のなかで、突然、「もういやだ!」と泣き叫んだ人がいました。現代社会には、そんなふうに静かに追い詰められ、こぼれ落ちるようにそこから退場していく人々がいるのです。
「私」が今いる会社でも、たまに田所さんにやつあたりをする人はいます。イライラして、「いるだけでめざわりなのよ!」とか、「俺達はあんたを養うために働いているんじゃねぇ!」などとののしったりします。何を言われても、田所さんは黙っているだけです。やつあたりをした人は、そのうちものすごく反省し、あやまりにいきます。机に花を飾ったりもします。それに対しても、田所さんは静かにお礼を言うだけです。そうしてまた日常が戻ってくる。田所さんがいることで、「私」の会社には、取り返しがつかないほどに追い詰められる人がいないのです。田所さんは、なにもせずただ会社にいて、人々の善意とも呼べないほどの小さな優しさを受け取ったり、緩衝材のようにストレスを吸収したりしています。「私」は、古来、人々の集団にはかならず田所さんのような役割の人がいたはずだ、と考えたりもします。
「田所さん」という短編は、とくにこれといった展開があるわけでもなく、田所さんのいる会社の様子と、「私」の思いが綴られていくだけです。田所さんは田所さんとしか言いようがなく、このシンプルなタイトルも、絶妙だなあと思います。田所さんにはっきりした役割や意味を与えてしまえば、田所さんの魔力(?)は弱まってしまうのでしょう。田所さんは、会社のような組織では、無意味で役立たずの存在です。仕事をしないのですから。でも、だからこそなにか大切な役割を果たしているという、不思議な現象が起こっています。
「意味がない」とか「役に立たない」という表現は、通常は、ネガティブに用いられることがほとんどだと思います。反対に、「意味がある」とか「役に立つ」という表現は、価値を認めるときに使われます。もやもやとしていたことの意味が「わかる」ようになることは、喜びに満ちた体験です。でも、もしかしたらそれらの喜びは、たとえて言うならお菓子などの嗜好品、あるいは娯楽のようなものなのかもしれません。
世界は本来的に、わからなさという土台のうえになりたっているものです。知性をもつ人間にとって、わからない世界で生きていくことは、こころもとないことです。世界の成り立ちを示す神話や、生きることや苦しむことの意味を与えてくれる宗教は、そうしたわからない世界を生きていくよすがとして、生み出されてきました。個人のレベルでも、理不尽な体験をしたときに、「これにはきっとなにかの意味があるはずだ」と考えることは、心理的な安定を保つために役立つことが知られています。
甘くておいしいお菓子は(人によってはよく冷えたビールは)、日々の暮らしに喜びを与えてくれます。それでも、お菓子だけの食生活が不健康であるのと同じように、私たちは「意味」に取り囲まれてしまっても、すこやかに生きられないのかもしれません。ストレスの時代と言われるようになって久しいですが、社会が機能的になることと心の健康がかならずしも比例しないことには、すでに多くの人が気づいています。「意味がない」「役に立たない」ものたちは、私たちの生きる世界が意味や役に立つもので埋め尽くされてしまわないよう、静かに空間を広げ、そっと支えてくれているのかもしれません。(A)
吉本ばなな「田所さん」:『体は全部知っている』文春文庫所収