猫に学ぶーいかに良く生きるか
かささぎ心理相談室は現在、3人の臨床心理士・公認心理師で細々と運営しているカウンセリングルームなのですが、月に一度ほどカウンセラーが顔を合わせてミーティングをしています。
そのなかでときどき、「最近、新しい人の問い合わせがちょっと少ないよね、他にたくさんカウンセリングルームができたからかな。もう少し宣伝したほうがいいかな」なんてことを言うこともあります。
でも他の二人は、「まあいいんじゃないのぼちぼちで」とか「あんまり働きたくないでござる」なんて言うので、それもそうかー、まあいっか、と落ち着くのが常なのでした。
開業カウンセラーの方向性として、「たくさん支店を作って全国展開して日本のカウンセリング業界を変えるぜ。スケールするぜ」みたいな熱い向きもありそうだけど、まあ地方の小商いを細々やってくのもいいんじゃないっていう道も確かにあるのです。
『インベスターZ』という漫画で取り上げられていた喫茶店のビジネスモデルみたいなやつですね(何巻かは忘れた)。若いカウンセラーたちにもぜひ開業領域に参戦してほしいと思ってます。喫茶店は街にたくさんあったほうが賑わうからね。
で、今日、紹介したいのが、
ジョン・グレイ『猫に学ぶーいかに良く生きるか』みすず書房、2021年
という本です。
タイトルの通り、猫の話です。猫好きだけお読みください。
猫については、このサイトでもいくつか書いています。
カウンセリングと「猫の妙術」
ねこに未来はない
この本の帯には、養老孟司さんがこんなことを書いています。
人生の重荷を感じている人には
本書を読むことが
救いにはならなくても
最低「気晴らし」にはなると思う。
猫好きにとっては
面白い上に感動的でもあり
つい読み切ってしまう
猫と生活を共にしたことがある人ならお分かりかと思いますが、あいつらは、いえ、あの方たちは、自分の生に意味があるかないかとか、役に立ってるかどうかとか、そういうことにはまるで無頓着です。
ただ、今ここで自分がしたいように生きてるように見えます。
歴史的には、猫は9000年前くらいから人間と共存関係を結ぶようになったようです。
ただ、最近のDNA研究によると、猫のDNAは、野生のヤマネコの遺伝子からほとんど変わっておらず、「ネコは人間が家畜化したのではなく、自ら人と暮らす道を選んでいたことが明らかになった」んだそうです。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/062100235/
そうなると、猫が人間を家畜化したというまことしやかにささやかれる伝説も、あながち間違いではないのかもしれません。
『猫に学ぶーいかに良く生きるか』
の話でした。
ジョン・グレイさんは哲学者らしいので、言い回しはちょっと難しいのですが、いくつか引用してみます。
猫は哲学を必要としない。本性(自然)に従い、その本性が自分たちに与えてくれた生活に満足している。一方、人間の方は、自分の本性に満足しないことが当たり前になっているようだ。人間という動物は、自分ではない何かになろうとすることをやめようとせず、そのせいで、当然ながら悲喜劇的な結末を招く。p.6
他の誰かになんてなれやしないよ♪
とKing Gnuも歌ってますが、常田くん他の誰かになんてならなくていいじゃんと第三者的には思うけど、人間はみんな「(今の自分以外の)何者かになりたい」って思ってしまうのが性なんでしょうね。
人類(ホモ・サピエンス)は、進化の過程で生き物としては未熟な状態で生まれてくるようになっちゃったので、「大人になりたい」「何かになりたい」というのは、たぶん、数百万年くらいの間でビルドインされた本能なんだろうと思います。
まあそこに「学習」や「成長」のモチベーションもあるわけだが、「(ただ)生きる」ことの根っこが危うくなるまで若葉を引っ張るのも本末転倒です。
たくさん勉強していい高校に入ってまた勉強していい大学入っていい企業に就職していい旦那さん(いい奥さん)を捕まえて戸建ての家を建てて子供が巣立って孫が出来て大往生、みたいな人生プランは、たぶんもう昭和で終わった幻想じゃないのかしら。
人間の生活の大半は幸福の追求だが、猫の世界では、幸福とは、彼らの幸福を現実に脅かすものが取り除かれたときに、自動的に戻る状態のことだ。それが、多くの人間が猫を愛する最大の理由かもしれない。人間がなかなか手に入れられない幸福が、猫には生まれつき与えられているのだ。p.6
つまり、今ここの目の前に嫌な現実がなければ、猫は幸福だってことですね。未来への不安も、過去への執着もない。
人間は、ないものを求めて得られないから不幸を感じるけど、猫は今あるもので幸福を感じられるってことか。
ロジャーズ的に言うと、猫には自己概念と自己経験の不一致がないってことなんですね。そもそも猫に自己概念があるのかどうかわからないけど。
猫は、彼らにとって不自然な環境に閉じ込められているとき以外、退屈することがない。退屈とは、自分以外に誰もいないという恐怖である。猫は自分しかいなくとも幸福だが、人間は自分から逃げ出すことで幸福になろうとする。p.36
このくだり、國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』の議論を思い出しました。國分さんは、「退屈」こそが現代人が真に向き合うべきテーマであり、その退屈に耐えられないからこそ、人は絶え間なく何かを求めたり、消費し続けたりしていると言います。
この「退屈に耐えられない人間」と「退屈しない猫」という対比は面白いですね。
これは、猫が外界や環境に意味づけをするのではなく、ただそのままを受け入れているからでしょう。一方で、人間は「自分はもっと何かをすべきだ」「もっと意味のある存在にならなくてはならない」と、絶えず自己を追い立てています。國分さんの言葉を借りれば、これは「退屈から逃れるために意味を求めてしまう構造」とも言えるでしょう。
國分さんが特に強調するのは、現代人が「暇」や「退屈」に対する過剰な恐怖心を抱いているという点です。この恐怖心が、SNSを延々とスクロールしたり、やりたくもない仕事を増やしたり、過剰にスケジュールを詰め込む原因となっています。退屈に耐えられない人間は、猫のように「今ここ」にとどまることができず、いつも何かの「次」を追いかけているのではないでしょうか。
まあ、ぼくたちのカウンセリングルームも、猫を見習ってぼちぼちやって行きますので、ぼちぼち生きやすくなっていきたいという方は、よろしければお問い合わせください。
人生であと一匹くらい、猫と生活を共にできたらいいなあ。
(久)