ヘムレンさんの沈黙の遊園地
楽しく、いごこちよく毎日を暮らしたい。誰もが願うことではないでしょうか。
でも、そう簡単なことではないですね。
どういう状態がいごこちよくて、何を楽しいと感じるかは、一人ひとり違います。
でも、人はひとりでは生きられません。私たちは、いくつもの「いごこちよさ」「楽しさ」がせめぎあう場所で、自分のいごこちよさを願いながら生きています。
さて、そんなことを考えながら、今回また「ムーミン谷の仲間たち」から、おはなしをひとつ紹介します。
今度の主人公は、ヘムレンさんといいます。ヘムレンさんはヘムル族の一員です。
ヘムレンさんは、一族のなかでは変わりもので通っていました。というのは、ヘムルの一族は陽気でおしゃべりな連中ばかりなのに、ヘムレンさんは、にぎやかなことがまったくもって嫌いなのです。親類が共同でやっている遊園地で、「偉大なおどろくべき沈黙」のことを夢見ながら、来る日も来る日も入場券にパチンパチンとはさみで穴をあける係をしていました。
ヘムレンさんは、はやく年を取りたくて仕方がありません。そうすれば年金をもらえるようになって、ひとりきりでひっそり静かに暮らすことができるからです。
そんなヘムレンさんとヘムルたちの会話は、いつもすれ違ってばかり。「あんたはろくな仕事もしていなくてさびしいだろ?」「みんなとつきあったら、元気が出るんじゃないか?」。ヘムルたちは、ヘムレンさんをにぎやかな輪の中に引き入れてやろうとします。「ぼくはけっして、さびしくなんかないんです」。ヘムレンさんは自分がしずかなのが好きであることを、おじやおばに小さな声で話します。でも親族には伝わりません。かれらはヘムレンさんのことを愛してはいるけれど、変わりものの甥のことを、どうしたって理解できないのです。ヘムレンさんの背中をたたいては、「わっはっは」と気が変になったみたいに笑って、大声で「元気をだすんだ」と励ますのでした。
あるとき、大雨がふりだして8週間もふりつづき、遊園地をすっかり流してしまいました。陽気なヘムルたちは、今度はスケートリンクをつくる計画をたてます。でもヘムレンさんは、それには加わらないことにしました。思い切って親族に、「どこか静かな場所で、まったくのひとりぼっちでくらしたいんです」と伝えます。ヘムル達は変わりものの甥の言うことにあきれ、また大笑いしたけれど、ヘムレンさんに、おばあさまの遺した公園をあげることにしました。
さて、ヘムレンさんがおばあさまの公園に行ってみると、そこはすっかり廃墟になっていました。だれも世話をしないので、道は草に埋もれ、青々とした木が生い茂っています。それでもヘムレンさんは、その場所が気に入りました。広々として神秘的で、なによりすばらしい静けさがそこにはありましたから。
ところがその静けさは、続きませんでした。翌朝、小さな訪問者がやってきたのです。遊園地がなくなってしまったことを悲しむ小さい子どもたちです。かれらは、入場券係のヘムレンさんのことが大好きだったのです。
子どもたちは、大雨で流された遊具を拾い集め、公園の門の外に積みあげ、ヘムレンさんに新しい遊園地を作ってくれるように頼みます。ヘムレンさんは、「いや、だめだ。ぼくは、こんなことはいやだぞ」といく度もいく度もつぶやきました。
やがてヘムレンさんは門の鍵をあけて、すっかりがらくたになった遊具を、おばあさまの公園に運び入れ、組み立てはじめました。くみたてたり、うちつけたりしているうちに、ヘムレンさんはこころならずも、この仕事が気にいってきます。親族はそんなヘムレンさんを見て、満足げに食べ物や工具をどんどん届けてくれました。子どもたちも手伝って、みんなは力をあわせて働きました。
ついに、ヘムレンさんの遊園地は完成しました。遊園地の完成を待っていた子どもたちが、大勢やってきました。でも、すっかり姿を変えたおばあさまの公園は、相変わらずシーンと静まりかえっています。いったい子どもたちはどうしているのでしょうか? みんなは楽しくないのでしょうか?
実は子どもたちは、「沈黙」を新しい遊びとして取り入れ、それをめいっぱい楽しんでいたのでした。公園じゅうが、ひみつな楽しい生活で、さらさらざわざわ、わきたっていました。それを知ってヘムレンさんは、満ち足りた気持ちになりました。そして、「あすはみんなにいうとしよう。きみたち、わらってもいいし、気がむいたらすこしは歌をうたってもいいよって。だけど、それ以上はだめだな、ぜったいに」と思うのでした。
* * *
にぎやかに過ごしたいヘムルたちと、静かでいたいヘムレンさん。最初、ヘムレンさんのいごこちよさは、ヘムルたちに侵害されていました。ヘムレンさんにとって解決策は、みんなのなかにいてひたすらがまんするか、そこから離れてひとりきりになるか、ふたつにひとつしかありませんでした。だけどそこに物語の不思議な力が働いて、ふたつの解決策はまじりあい、思いもよらなかった「沈黙の遊園地」が誕生したのです。
どうすれば私たちも、こんな素敵な展開を、自分の人生という物語にもたらすことができるでしょうか。
この物語の作者であるトーベ・ヤンソンは、どの登場人物のこともひいきせず、一定の距離をもって眺めているようにみえます。誰が正しいとか、誰が素晴らしいとか、誰に価値があるとか、そういうことは抜きにして、それぞれに個性的な登場人物たちの姿を、生き生きと描いているのです。滋養に満ちた、よい物語は、そういう場所を選んで訪れるのかもしれません。いろいろな読み方ができることは、すぐれた物語の条件のひとつですから。
この物語にはさまざまな誤解や思いこみが溢れています。それらはついに解消されることがないまま、みんながそれぞれのいごこちよさを手に入れて、物語は幕を閉じます。まるで、誤解という裂け目が、いくつものいごこちよさがせめぎ合うときのきしみを、吸い込んでくれたかのように。
みなさんも機会があればどうぞ作品を直接手にとって、いろいろな読み方を探してみてください。(A)
ヤンソン,山室静訳『ムーミン谷の仲間たち』講談社文庫
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Contents
自分の顔をもつということ