さよならをすること
元町商店街にある老舗書店、海文堂書店が、9月30日で閉店になるそうです。
私の大好きな書店で、元町界隈に行って時間があれば、かならず立ち寄る場所でした。
海文堂に行くと、不思議に読みたい本に出会えました。
近年増えた大型書店に比べれば、海文堂書店はそれほど広いお店ではありません。
それなのに不思議な奥行きがあって、時間と体力が許す限り、何時間でもいられます。
ここの本棚にはどんな魔法がかけてあるんだろうと思うくらい、1冊1冊が魅力的に見えてきて、つい手に取ってしまうのです。書店員さんたちの本への愛情や尊敬がかもしだすものなのでしょうね。
海文堂の創業は1914年だそうです。あと1年で100周年でした。
ずっと変わらずそこにあるものとばかり思っていた存在が消えてしまうことを知って以来、寂しくてしょうがありません。
海文堂の閉店を惜しむ人々の声を寄せたリーフレットに、「体の半分を持っていかれるようです」という表現をしている人がありました。
便利を優先するようになった時代が招いた結果だと、自分の生き方を悔やむ人の声もありました。
生きていれば、自分にとって大事な人やものとの別れは避けられません。
信頼や愛情を寄せていた存在がこの世からいなくなることは、まさに「体の半分を持っていかれる」体験です。
心理学ではそうした別れを「対象喪失」と呼びます。対象喪失を体験すると、哀惜の気持ちだけでなく、うらみや怒り、自責感などもわきおこり、ときに荒れ狂うような心の痛みを体験します。こうした悲しみや心の痛みをくぐりぬけ、やがてその対象との関わりを安らかな気持ちで思い出せるようになるプロセスのことは、「悲哀の仕事 mourning work」と呼ばれています。
――死の必然と和解し、死を受け入れるということは、失った対象を心から断念できるようになるということである。「悲哀の仕事」は、そのような断念を可能にする心の営みである。
しかしながら、あくまでそれは断念であって、失った対象を取り戻すことでもなければ、失った対象への思慕の情を忘れ去り、悲哀の苦痛を感じなくなるという意味でもない。失った対象に対する思慕の情は、永久に残り、この対象と二度と会うことのできないこの苦痛は、依然として苦痛として残るであろう。しかしそれをどうすることもできないのが人間の限界であり、人間の現実である。大切なことは、その悲しみや思慕の情を、自然な心によって、いつも体験し、悲しむことのできる能力を身につけることである。(小此木啓吾『対象喪失』中公新書)
自分を残して行ってしまった存在のことなど忘れて、新しい対象に目を向けるほうが楽だし、前向きだという考え方もあります。そうできるなら、それもありかもしれません。
でも、せっかく悲しくつらい思いをしたのなら、それがその人の人格の深みや魅力につながるほうが、よりいいのではないでしょうか。悲哀の仕事は、それを可能にしてくれる大切な時間ではないかと思います。(A)