月下独酌、心理療法と遊ぶこと

冬の空に綺麗な月が浮かんでいます。
それを見て思い出したのが、李白の「月下独酌」という漢詩。難しいことは何も分かりませんが、月の下で一人楽しそうにお酒を飲んでいるという詩です(たぶん)。

月下独酌  李白

花間一壷酒  花間一壷の酒
獨酌無相親  獨酌相親しむ無し
擧杯邀明月  杯を擧げて明月を邀え
對影成三人  影に対して三人を成す
月既不解飲  月既飲を解せず
影徒随我身  影徒に我身に随う
暫伴月将影  暫く月と影とを伴うて
行楽須及春  行楽須らく春に及ぶべし
我歌月徘徊  我歌えば月徘徊し
我舞影零亂  我舞えば影零亂
醒時同交歡  醒時同じく交歡し
醉後各分散  醉後各分散す
永結無情遊  永く無情の遊を結び
相期遥雲漢  相期して雲漢遥かなり

春先の、今よりもう少し暖かくなってきた頃でしょうか。
花の咲いたあたりに酒を飲んでいるけれども、誰も相手がいない。
そこで月を招いて、自分の影も入れて三人で飲む(ということにする)わけです。
でもそもそも月は酒を飲まないし、影は自分の真似をしているだけ。
それでもまあいいかと楽しんでいるうちに、歌えば月は夜空を動き回り、
舞えば影はゆらゆらと踊り出す。
たぶん、そんな感じの詩のようです。

月や影と歌ったり踊ったり、ときには対話などをしてみたのかもしれません。
一人でそんなことをしている姿は、端からみたらちょっと妙に映るでしょう。

ユング派の心理療法には、能動的想像という技法があります。
夢などに現れるイメージと対話することを通して、意識と無意識をつないでいくような方法です。
ゲシュタルト療法でも、自分自身や重要な人、夢の中の登場人物を空の椅子に置いて対話する方法があります。

多くの心理療法やカウンセリングの技法は、どこか子どもの遊びと似たところがあるようです。
ウィニコットという精神分析家は、心理療法は遊びの領域で生じる出来事だとして、次のようなことを言いました。

「探求することは、バラバラで無定形に機能することからのみ、あるいはちょうど中立地帯におけるように多分ばかばかしく見える遊ぶことから、生じてくる。ここでのみ、つまり、この人格の無統合状態においてのみ、創造的といえるものが出現可能なのである」(D.W.ウィニコット『遊ぶことと現実』)

“目的や一貫性”だけを大事にしていると、こうした「遊ぶこと」が入る余地はありません。ばかばかしいからやめておこう、といった理性の声をたまには横に置いて、月の光や自分の影と戯れてみるのもいいかもしれません。

といったことを思いつつ、月を見ていました。
それにしてもまだまだ寒いですよね。(久)

 

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