アモールとプシケー

「心理学」という言葉は、西周(にしあまね)という幕末から明治にかけて活躍した人が考えたとされています。1829年誕生とのことなので、坂本竜馬より早く生まれた人なんですね。徳川慶喜に仕えた人だと知ると、そんな時代から「心理学」なんて言葉があったのかとちょっと驚かされます。

西周はmental philosophy の訳語として「心理学」を用いたのですが、現代では心理学といえば psychology です。これは、ギリシア語の psyche とロゴス logos が合わさった言葉です。
「心+言葉(論理)」
といった感じでしょうか。「心の理(ことわり)の学問」と言った方が正確かもしれません。

プシケー(psyche)は、もともと「呼吸」を意味する言葉で、転じて「心」や「魂」を表すようになりました。面白いことに「蝶々」という意味もあるそうです。ひらひらと飛び回る蝶々は、誰かの魂のように見えたということかもしれません。

ギリシャ神話にはよく知られた「アモールとプシケー」という物語があります(正しくは、もう少し後のローマの頃に生まれた話のようです)。

アモールとは、別名でエロスとかクピド(キューピッド)という名前をもつ神様で、その名前は「愛」という意味を持っています。「愛」と「心」をめぐる物語ということです。

プシケーは3人姉妹の末子の美しい人間の娘でした。
とても美しかったので人々は女神アプロディテよりもプシケーを誉め称えるようになりました。怒ったアプロディテは、プシケーに恋の矢を射るように息子のアモールに命じます(「あんな女、不細工な男に惚れさせて不幸にさせておやり!」と言うわけです)。
ところがプシケーの美しさに目が眩んだアモールは、間違って恋の矢で自分を傷つけてしまいました。そのおかげでプシケーに夢中になったアモールは、なんだかんだと手を回してプシケーの父親に「娘を山に置き去りにするように」と命じます。父親思いの娘であったプシケーは言われるままに山に登ります。
そしてアモールの使いである風の神にさらわれたプシケーは、アモールに嫁ぐことになります。アモールは夜にやってきて明け方には帰ってしまうので、プシケーは夫の顔を見ることはありませんでした。そこにプシケーの姉たちがやってきて、「あんたの夫は恐ろしい怪物よ。このナイフでやっつけて帰っておいで」とそそのかします。夫が寝ているベッドをランプで照らしたプシケーが見たのは、怪物ではなくて美しい青年でした。
姿を見られたアモールは、「もう一緒にはいられない」とどこかに消えてしまいます。そしてプシケーはいなくなってしまった夫を捜して世界中を旅します。
姑さんでもあるアプロディテの住む冥界にやってきたプシケーは、あれやこれやの意地悪に耐え抜きます(嫁姑問題というのは、古代ギリシャからあったということでしょうか)。プシケーは、姑から最後の試練として与えられた課題である「美の箱」をやっとの思いで手に入れました。「これで愛する夫にまた会うことができる。でも何年もさまよった私の顔はどうかしら・・・」と不安になったプシケーは美しさを取り戻すために「美の箱」をあけてしまったのです。箱から出てきた「冥府の眠り」によってプシケーは深い眠りに落ちてしまいます。そこにかけつけたアモールの接吻でプシケーは息を吹き返し、最後に二人は結ばれるという物語です。

ユングは、身体と同じく脳も歴史の痕跡を刻み込んでいると主張し、心の構造を探っていくと神話的な古層に到達すると考えました。だとするとこの「アモールとプシケー」の神話もまた、私たちの心の深いところとつながりをもっていると考えられます。この物語で描かれているような異類婚姻譚や「見るなの禁止」は、世界各地の神話や昔話に共通したモチーフです。私たちがある種の体験や感情を「見ない」ようにして生きていることや、それを「見て」しまうことによる分離や喪失体験は、歴史を超えた普遍性を持っているのでしょう。

 
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エリック・ノイマン『アモールとプシケー―女性の自己実現』紀伊國屋書店、1973年
北山 修『見るなの禁止』岩崎学術出版社、1993年

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