いろがみコラージュ法

コラージュのワークショップ「置くことの不思議」が終わったので、少しだけ報告を。

連休の合間の平日ということで参加者は少なかったのですが、とても楽しくて学びの多いひとときとなりました。

自己紹介の後、まずは講師の清水克久さんから、アートにおけるコラージュの歴史を教えていただきました。
最初に、現代美術にコラージュ(collage)という技法を最初に導入したピカソの作品をいくつか見せてもらいました。音符をそのまま張り付けた作品や、ピカソ自身の顔写真を使ったコラージュなどです(こんな作品)。

Imi Knoebel(1940-)は、色で塗った紙をさまざまなかたちに切ってコラージュを作りました。

じっと眺めていると、色と形の緊張感や躍動感が伝わってきて楽しいですね(美術に関する語彙が貧しいので、それくらいしか言えないのがちょっと残念ですが)。

清水さん自身の作品もいくつか紹介していただいた後、いよいよコラージュ作成。
今回は、Imi Knoebel風に色紙だけを用いてみようという試みです。

最初は、特に課題を決めずに自由に色紙コラージュ作成。
紙を切ることに注意が向く人もいれば、まずは正方形のまま折り紙を台紙に置いてみる人、けっこうやり方は違うものです。
切った紙片から、しっくりするものを選んで置いてみます。
どこに置くか、他の紙片との位置関係は、といったことにもしっくりくる、こないがあります。
自分のフィーリングと対話をしながらあっちに置き、こっちに動かしをしていると、「あ、ここだ」という位置に収まるようでした。糊やテープで固定して、少し遠くから眺めてみます。他の人に感想を言ってもらったり、「タイトル」をつけたりつけてもらったり。写真などのように意味やイメージに引っ張られない分、投影の自由度がより高いと感じられます。同じ理由で、より「構成」(composition)が重要になります。重さとかバランスといった身体的なフェルトセンスを表現しやすい(受け取りやすい)ようです。

続いて、切った紙片を互いに交換して作品をつくってみました。

「自分ではこうは切らないよな」という紙片が回ってきて、どう収めたものかとまどいながらも「置きどころ」を探すのは、これはこれで楽しい経験です。自分の切った紙片が別の人の手で作品になるのを見るのも「そうくるか!」と意外な驚きがあって面白い。芸術療法としては、交互分割彩色法に少し似ています。お互いに紙片をひとつずつ渡してみても、より相互交流が深まるかもしれません。「麻雀みたいにテーブルの真ん中で紙片を混ぜて、それぞれコラージュを作ったり、全員で一枚の作品を作っても面白いかもしれない」といったアイデアも出ました。

少し離れて眺めてみると、自分の「気がかり」の置きどころを探った後が見えてくるような気がして、「ふむふむ、こんな心配があって、こういうふうに置くとしっくりくるのか」といったことに気がつきました。頭のなかでもやもや考えているだけでなく、表現して置いてみることで、「腑に落ちる収まりどころ」が見つかることも多いのだと思います。久


【参考】
日本コラージュ療法学会
森谷 寛之ほか編『コラージュ療法入門』創元社 、1993年
森谷 寛之『コラージュ療法実践の手引き』金剛出版 、2012年

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